今日は買い物には行けたけど、昨日見た美術展を引きずって映画は観れず。
2010/01/03
「医学と芸術展」→WEB
何年か前にやってた「人体の不思議展」みたいな、
内臓が展示されててオゲーとか、昔の間違った人体解釈を見てワハハとか、
そんなノリだと思って観にいった節があったのですが、
いや実際そういう部分も多くっておもしろかったんだけど、
(我らがカリスマ河鍋暁斎の作品もあったし)
途中にあった死にゆく人の生前の顔とデスマスクを並べた作品が痛烈すぎてオチてます。
いやオチてます、なんて失礼か。とにかく沈んでおります。
新年早々にメメント・モリを受け入れるか、という論議以前の症状が再発中。
新年の挨拶に母方のじいちゃんに会った時に
「去年は元気で居られたけど今年はどうかなー」という一言や
父方の別のじいちゃんと会った時、去年まではそんなこと無かったのに
あ、俺の話している話を理解しきれていないなという瞬間とか
昨年末に名古屋で熱田神宮に行ったときにふと思った
「俺またここに来ることあるのかなー」という気持ちとか
その横で手話で喧嘩をしていた老夫婦とか。
あーこの人たち、っていうかそれを聞いてる俺もみんな無くなるんだ、という。
ほかの人にもこういう感覚はあると思うんですけど、
僕の場合いつも、死が怖くなるののもっと漠然とした感覚、
モノが僕の範疇から消えてしまうという喪失感がきます。
ここんとこ、その感覚が出てくる機会が連続してあって。
大掃除していて服を処分するときに買った時のことを思い出して
死にそうなくらい胸の奥が痛くなることとか
あれだけ好きで壁にずっと貼ってたフライヤーを今や捨てられてしまうこととか
楽器の弦を張り替えたときに余った部分を切ることを躊躇することとか
あるいは職場で弁当食ってるときに部屋の端にこぼしたゴマを
今ここで俺が無視したらこれから"無い"ことになっちゃうなと思うこととか。
特にそういう感覚に関しては敏感である自覚はあるんです。
常に青いものが好きと言いつづけていることも
ライブのセットリストを必死で覚えていたのも
僕が好きなバンドのTシャツを、友人が買うのを嫌がることも(笑)
買ったCDは絶対に売れないのもそう。
なくすと悲しい、という気持ちでリンクすることがたっくさん。
これってよく"思い出貧乏"と呼ばれている症状の極地なのかなとも思ったり。
考え過ぎと言われればその通りなのかもしれないけど
すべてに意味はある。考えていない方がおかしい。
考えることは無駄では絶対にない。
すべて無駄だったら
ボジティブな人なら「がんばりましょう」ですべて済むし
ネガティブな人なら悲観して自殺をしておしまいだから。
最近DMM.comのCMでチャラいバンドマンさんが
「大切なのは、お金なんかじゃないぜ!」と言ったあとに
「俺、嘘つきました」ってなるやつあるじゃないですか。
僕にとって単純に不快な印象のCMですけど、
「お金は必要だけど、重要じゃない」ってヒロトが言ってたことを思い出した。
から良しとします。
両極端以外の答えがあるってことを
それなりに長く生きてきたのにそれまで気づいていなかったので、
この言葉を聞いた瞬間にすごい視界が晴れたんですよね。
今回も「考えていないほうがおかしい」という振り切ったところから
僕を少しニュートラル寄りに戻してくれました。
あっちこっちいって、
自分が一番居心地の着地点が死ぬまでに見つかりますように。
そんなことを考えながらUNIQLOにてまっピンクのカーディガンを買ったよ。
明日から仕事。「がんばりましょう」!
2010/01/03
「医学と芸術展」→WEB
何年か前にやってた「人体の不思議展」みたいな、
内臓が展示されててオゲーとか、昔の間違った人体解釈を見てワハハとか、
そんなノリだと思って観にいった節があったのですが、
いや実際そういう部分も多くっておもしろかったんだけど、
(我らがカリスマ河鍋暁斎の作品もあったし)
途中にあった死にゆく人の生前の顔とデスマスクを並べた作品が痛烈すぎてオチてます。
いやオチてます、なんて失礼か。とにかく沈んでおります。
新年早々にメメント・モリを受け入れるか、という論議以前の症状が再発中。
新年の挨拶に母方のじいちゃんに会った時に
「去年は元気で居られたけど今年はどうかなー」という一言や
父方の別のじいちゃんと会った時、去年まではそんなこと無かったのに
あ、俺の話している話を理解しきれていないなという瞬間とか
昨年末に名古屋で熱田神宮に行ったときにふと思った
「俺またここに来ることあるのかなー」という気持ちとか
その横で手話で喧嘩をしていた老夫婦とか。
あーこの人たち、っていうかそれを聞いてる俺もみんな無くなるんだ、という。
ほかの人にもこういう感覚はあると思うんですけど、
僕の場合いつも、死が怖くなるののもっと漠然とした感覚、
モノが僕の範疇から消えてしまうという喪失感がきます。
ここんとこ、その感覚が出てくる機会が連続してあって。
大掃除していて服を処分するときに買った時のことを思い出して
死にそうなくらい胸の奥が痛くなることとか
あれだけ好きで壁にずっと貼ってたフライヤーを今や捨てられてしまうこととか
楽器の弦を張り替えたときに余った部分を切ることを躊躇することとか
あるいは職場で弁当食ってるときに部屋の端にこぼしたゴマを
今ここで俺が無視したらこれから"無い"ことになっちゃうなと思うこととか。
特にそういう感覚に関しては敏感である自覚はあるんです。
常に青いものが好きと言いつづけていることも
ライブのセットリストを必死で覚えていたのも
僕が好きなバンドのTシャツを、友人が買うのを嫌がることも(笑)
買ったCDは絶対に売れないのもそう。
なくすと悲しい、という気持ちでリンクすることがたっくさん。
これってよく"思い出貧乏"と呼ばれている症状の極地なのかなとも思ったり。
考え過ぎと言われればその通りなのかもしれないけど
すべてに意味はある。考えていない方がおかしい。
考えることは無駄では絶対にない。
すべて無駄だったら
ボジティブな人なら「がんばりましょう」ですべて済むし
ネガティブな人なら悲観して自殺をしておしまいだから。
最近DMM.comのCMでチャラいバンドマンさんが
「大切なのは、お金なんかじゃないぜ!」と言ったあとに
「俺、嘘つきました」ってなるやつあるじゃないですか。
僕にとって単純に不快な印象のCMですけど、
「お金は必要だけど、重要じゃない」ってヒロトが言ってたことを思い出した。
から良しとします。
両極端以外の答えがあるってことを
それなりに長く生きてきたのにそれまで気づいていなかったので、
この言葉を聞いた瞬間にすごい視界が晴れたんですよね。
今回も「考えていないほうがおかしい」という振り切ったところから
僕を少しニュートラル寄りに戻してくれました。
あっちこっちいって、
自分が一番居心地の着地点が死ぬまでに見つかりますように。
そんなことを考えながらUNIQLOにてまっピンクのカーディガンを買ったよ。
明日から仕事。「がんばりましょう」!